義母の死から・・・和解〜そしてお盆を迎えて

民事裁判というのは、ホントに心身を削られるなぁと、ここ数回の相手弁護士とのやりとりでしみじみと感じています。
裁判所から6月の弁論期日までにこちらも資料を出すように提出を求められたので、義母が主婦として家事をしていたという証拠として家計簿を提出しました。
私は今回初めて見たのですが、夫から聞いていた通り、家計簿には義母の文字で事故の前日までしっかりと記入されていました。そこには義母と義弟の日常生活の記録がありました。あの日の事故以降書かれることのなくなった家計簿は見ているだけで筆まめだった義母を思い出して、ただただ悲しいです。

7月初頭に弁護士さんから連絡が来て、裁判所から、原告、被告双方の提出内容から算定が出たということで明細内容が送られてきました。

内容はこちらの主張がほぼ通った算定になっていました。
事故の時に義母が乗っていた、相手弁護士の主張によると1円の価値のない意味のないものとされた自転車も算定に入っていました。
相手弁護士からすれば、たかだか乗り古した自転車と思うのかもしれませんが、あの自転車は義母がどこに行くにも乗っていた大事な自転車なのです。事故の時に、車輛の下に入り込んでしまいやむを得ず切断してしまって消滅したけれど、あの自転車は私たち家族にとっては大事な遺品なのです。だから、価値のあるものと算定してもらえたことがうれしかったのです。
そして、相手弁護士が無意味と主張していた、義母が主婦として家事をしていたということも認められて算定されていました。
この算定をみていて、私たち夫婦はなんともやりきれない気持ちになりました。
刑事裁判の時に加害者の情状酌量材料として、加害者の父親が息子の職場への送り迎え、自宅の掃除などの面倒をこれから見てゆきますと言っていたのです。40歳超えている成人男性の息子に随分と過保護だなぁと思ったものですが、それが通っているわけです。加害者の父母も母と同年代の70代です。
なのに、義母が義弟の日常の家事をしていた、主婦をしていたことは、高齢者でできるわけがないとか無意味と相手弁護士さんはおっしゃっていたわけです。相手弁護士の主張って一体なんなのか?やはり今もって私たちには理解できません。多分、一生理解できない。

そして、7月の半ばに和解期日がやってきました。
これまでの民事裁判は弁護士さんだけで出廷をしてもらっていたのですが、今回だけは、遺族を代表して、夫も出廷することにしました。
私は直接の身内ではないので、和解をする部屋に入室出来ないと弁護士さんから言われていたのですが、建物内の待合席にいるならオッケーと言われたので、同行させてもらいました。
弁護士さんと指定時間になったので、行ってみると女性の方が一人椅子に座っておられました。
夢にまでみた(悪い意味で)相手弁護士との対面が実現してしまった瞬間でした。ドラマティックなことがあるわけでもないのですが、私の心情としてご尊顔を見ておきたかったのです。ただそれだけなんですけれど、どうしても見たかったのです。まぁ見た目は普通の女性でしたけれどね。当たり前か・・・。

夫と弁護士さんが裁判官に呼ばれて室内に入る前に、弁護士さんから聞いたのですが、相手弁護士があれだけ不知!不知!不知!と主張して徹底的にやりあうわよ!とやる気まんまんだったはずなのに、前日に全面的に和解に合意しますという連絡が裁判所に入っていたそうです。
結論としては、こちらはすでに和解に合意する意向だったので、双方合意で本当にあっけなく終わってしまいました。私も待っていたのは10分くらいだったので、何があったのかと結果を聞いてあっけにとられてしまいした。
相手弁護士はこちらの弁護士さんに一礼をしてさっさとお帰りになられました。
ホント、あっという間のできごとでした。まさにポカーン状態な私・・・。

後日、和解調書が弁護士さんより送られてきて、民事裁判は終わりました。


和解調書が来たのが調度、7月の半ばでうちの地域のお盆の前だったので、お盆のお迎えで帰ってきた義母に裁判の結果を報告することが出来て良かったです。これでやっと一区切りなのだなぁと思いました。

・・・・とこれだけで終わればよかったのですが、後日談が一つありました。
裁判で加害者の謝罪や弔いは勝手にきた葬儀や事故現場の献花で充分したからもう必要ないでしょ!とあれだけ言っていたくせになぜか、加害者らから義母の墓参りをしたいという打診が弁護士さんにあったそうです。
私たちの返答はもちろん「不知」です。
和解と赦すというのは全く別の問題なのです。
謝罪とは何か?
これから長い時間をかけて加害者らには考えてほしいと思います。