その4 夜9時の神社参拝

板橋不動尊でご機嫌になった私たちは、もうひとつ友人が以前から16号バイパスを野田方面に行くたびに気になっていたという「一言主神社」に向かうことにしました。もう10年くらい前から気になっていたんだけれど、なぜか行く機会なかったというのです。
実はその白い大きな看板を見ていて、これはどこにあるんだろうか?と私も気になっていたのでした。板橋不動尊にも行けたし多分、今日は運がいいからいけるんじゃないかという予感がしたので早速「看板」を頼りに向かうことにしました。

しかし、看板に後4キロっていうのを目指していくといきなり看板が消えたり、看板見えたらまたそこから3.5キロって書いてあったりとどうも看板通りに行くと迷ってしまったようです。迷うこと30分なんとかやっとまた新しい看板を見つけました。あれ?看板がもう一個増えんぞと見ると右が「一言主神社」でまっすぐが「大生郷天満宮」と書いてあります。天神様は1.5キロだから近いから後で行きますかねーと看板通りに一言主神社に向かいました。しかし、夜の八時過ぎたらここは(後に旧水海道市354号あたりをさまよっていたと判明)森ばっかりで暗くて何にも目標物がないんですよね。多分、もう一回行けといわれても行けそうにもありません。
細い道を不安になりつつも走ってゆくと大きな鳥居が見えました。看板はここのは正しかったようです(笑)少し、高台になっているところに「一言主神社」はありました。
駐車場にも大きな木がたくさんある大きな神社です。立派な本殿はきれいにされていて素晴らしかったです。中を見ると鏡のようなものが見えました。見てはいけないものを見ませんように、神様に叱られませんようにと祈りつつ見学参拝開始です。
まったく私はここのことを知らなかったので、帰ってきてガイドブック調べてみたらかなり古い神社だとか。

ご祭神は《一言主大神》(ヒトコトヌシノオオカミ)
当社縁起によると大国主命オオクニヌシノミコト)の御子神で「国譲り神話」で有名な事代主命コトシロヌシノミコト)と同一神であるとされています。
一言主大神に関する伝承は、『古事記』『日本書紀』の雄略天皇の条にみることができます。
雄略天皇葛城山に狩猟に行き、そこで「面貌容儀、天皇に相似」の言主大神に出会い、一緒に狩りをされたと伝えています。そのなかで一言主大神は「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神」とおっしゃられたことから“託宣(タクセン)神”“言霊(コトダマ)の神”として古くから信仰されてきました。
また「一言願わば、良き事につけ、良からぬ事(心配事、病気、災難等)につけ、良く聞き分けて御利益を授けてくれる神」と云われ、“万能神”としての信仰を広く集めています。
リンク 茨城県常総市 一言主神社


という本当にありがたーい神社さんだったのです。お願い事を一言も漏らさずに聞いてくれるとは素晴らしいではありませんか。一言主大神のほかにも合社にたくさんの神さんが祭ってあるお宮が連なっているところがあったり、お稲荷さん、大黒さんなどもありました。ここも本当にきちんと祭られていて住んでいる神様もさぞ気持ちよいだろうなと感じました。
夜の神社ってちょっと怖いなあっていうのがあったのですが、ここはそんなことが全く感じられないくらいの清清しさでとても気持ちよかったです。
この時点で夜の9時、写真を撮ったりしていましたが全く怖さを感じませんでした。
帰り際に男性がふらりと車で来て一人で参拝をしてすっと帰って行ったのですが余りの手際のよさに一瞬人だったのかとちょっとびびりましたが、きっと地元の方です。神聖な時間を邪魔してすみませんでした。

・・・・と厳粛な雰囲気を書いていますが、怖くなかった理由のもうひとつはここは結婚式場などもされているので別棟があるのですが、そっちからバンドの演奏(多分、アマチュア)が大音量で聞こえてきたんですよー(笑)ちょっとハードロックぽいような感じの魂のボーカルとパワーあふれるドラムの音はミスマッチでしたがちょっと緊張がほどけて助かりました。神社の神主さんの演奏だったら凄―く笑えたんですがあれはなんだったんだろう?闇の彼方から聞こえるバンド演奏は謎でした。