その4 ということは呼ばれてきましたか?

一言主神社を後にして、では「大生郷天満宮」に行こうと懲りずに看板を頼りに行ったのですがまたもや道に迷いました。夜の9時過ぎていたのでここは次回にしようと354線で戻ったのですが、途中の標識で「国王神社」っていうのを発見。暗い道の標識にいくつか場所が書いてあったんですが、国王って名前にぐっときたので、なんだろねー随分とものものしい名前の神社だねーといいながら友人と車を走らせて、そのまま千葉野田方面に戻り埼玉に帰りました。帰りにファミレスで夕食を食べて本日の感想会をしているときに茨城ガイドブックでさっきの「大生郷天満宮」と「国王神社」を見てみたら!思い出しました。あのあたりってば岩井市じゃんかって!平将門の出身地ですよ。
国王っていったら祟り神のトップ3のお一人、「平将門」じゃあーりませんか。将門がご神体の神社でしかももう謀反を起こしませんよってことでここの神社の紋章は「繋ぎ馬」だって昔、何かで読んだ記憶がよみがえってきました。馬が紋章って珍しいなとビジュアル記憶に残っていたんですね。

実は・・・・加門七海さん風な話になりますが、私は前日に

日本怪奇幻想紀行〈3之巻〉幽霊・怨霊怪譚

日本怪奇幻想紀行〈3之巻〉幽霊・怨霊怪譚

 を読んでいたんですね。
半分寝ながら読んでたので記憶がぶっとんでいたのですが、御霊信仰のページで多田克己氏が神田明神の話やら首塚の話を紹介しておりました。その中で仕入れた話を車中でしたら友人も興味をしめして、牛久大仏に行くまで散々ぱら祟り神、平将門話に夢中でした。でも不思議なことに国王神社の話が全くでなかったのですよ。有名どころを友人とおもいつくままにたくさん出したのに関わらずどうも記憶がすっとんでいたような感じです。

そして家に帰って「日本怪奇幻想紀行」もう一度しっかりと読んでいたら、国王神社はなくて「大生郷天満宮」が出てました(写真入)読んでみると天満宮って言えば菅原道真なんですが、ここは関東最古の天満宮なんだそーです。将門って京都に赴任時代に道真を九州に送った張本人、菅原時平の弟、藤原 忠平に仕えていたそうなんですね。そして、将門に新皇をなのれと兵の蜂起を巫女に乗り移って神託したのが菅原道真だとか・・・・祟り神トップ1.2になる二人の共通縁があったとここで初めて私はしりました。

ということは・・・今回は将門に呼ばれての茨城ツアーになったのかも知れないなとも思えてくるのですがちょっとこじつけすぎですか?そうだと非常に嬉しいって気持ちもあるんで書いてしまいました。

平将門魔方陣 (河出文庫―文芸COLLECTION)

平将門魔方陣 (河出文庫―文芸COLLECTION)

将門にかかわる神社などの話は、この本がちょいとハチャメチャ展開もありますが凄く面白かったです。やっぱり加門さん好きです。
実はこの本も家の近くの図書館で翌日にふらりと行って偶然に見つけました。おかげで、新橋でとても気に入ってしまった「烏森神社」についても詳しくしることが出来ました。こっちは将門制圧した俵藤太が戦勝祈願した神社になるのですが6月に新橋親父パラダイスツアー潜入の時に偶然に見つけたのでした。

ということは茨城ツアーの予兆は6月の新橋、烏森神社から始まっていたのでしょうか?

いろんな偶然がいっぱいでこんがらがっていた糸が一本に結びついてきているのがとても不思議な思いです。鶴が丘八幡宮も頼朝からみってことで将門に絡むらしいのでそういえば私は鎌倉ツアーも最近していましたね。
次は何が出てくるかこうなったらとっても楽しみになってきました。