関東最古の大社 鷲宮神社

車で運転中に通勤途中やいつも通る道で気になる看板があって行ってみたいなーと思いながらも看板を毎日通り過ぎるだけで行かずじまいの場所ってありませんか?

友人は千葉方面の16号線でみかけた「一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)」の看板だったのですが、私は大宮栗橋線(3号線)の鷲宮で見かける「鷲宮神社」の看板をもう15年以上が気になっていました。
会社が移転したときのお祓いをしていただいたのも偶然にこちらだったのですが、神主さんに来ていただいてそれっきりという状態になっていて早五年が経過してしてしまっていました。

今週の水曜日に茨城に行ってきた帰りに時間があったので、今日ならいけそうだという自信もあったので行って参りました。

ナビなし車の方向音痴(不動産業界にいるくせに私は方向音痴なのです)走行でも看板を手がかりになんとかたどり着きました。
目の前には大きな真っ赤な大鳥居が見えます。車を止めてこれが15年間憧れていた鷲宮神社かとしばし感動。

大きさは中堅ところの神社くらいの大きさでしょうか。
駐車場に車を置いて早速鳥居をくぐって中に入りました。
今回は車で行ったのですが最寄駅から歩いても行けるそうです。
http://www.washinomiyajinja.or.jp/history.html

鷲宮神社の由来を見てみると・・・・

当神社は、出雲族の草創に係る関東最古の大社である。由緒は神代の昔に、天穂日宮とその御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて神崎神社(大己貴命)を建てて奉祀したのに始まり、次に天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀した。この別宮が現在の本殿である。
 崇神天皇の御世には、太田々根子命が司祭し、豊城入彦命彦狭島命、御諸別王が、それぞれ幣帛を奉納した。
 景行天皇の御世には、日本武尊が当社の神威を崇め尊み、社殿の造営をし、併せて相殿に武夷鳥宮を奉祀した。
 桓武天皇の御世には、征夷大将軍坂上田村麿が、武運長久を祈り奥州鷲の巣に当社の御分社を奉祀した。
中世以降には、関東の総社また関東鎮護の神として、武将の尊崇が厚く、歴史上有利な武将だけでも藤原秀郷源義家源頼朝源義経北条時頼北条貞時新田義貞・小山義政・足利氏歴代・古河公方関東管領上杉氏歴代・武田信玄織田信長豊臣秀吉徳川家康等があげられ、武運長久等を祈る幣帛の奉納や神領の寄進、社殿の造営等がなされた。なかでも江戸時代には、四百石の神領を与えられ、代々の将軍の名で朱印状が残されている。
 明治天皇の御世には、神祗官達により准勅祭社に定められ、勅使参向のもと幣帛の奉納がなされた。そして明治天皇行幸の際、当社に御少憩され、祭祀料として金壱封を賜り、昭和天皇の御世にも、幣帛を賜った

とのこと。ここが関東最古の大社とは知りませんでした。
明治天皇昭和天皇ともゆかりがあるようです。

鳥居をくぐっていくと池が見えて更に参道を歩いていくと清清しく掃き清められた砂利の前に本殿が見えて正面から左に回り少し奥に行くと拝殿があったのでこちらで参拝をしました。感激したのが、賽銭箱の横に白木で作った荷物置き場があったことです。参拝をするときにいつも地べたに置いていたのでこのシステムはカメラも置けるしと良かったです。拝殿の奥をのぞいてみると鏡が見えました。

本殿の中にどうしたら入れるのかなーと思いぐるりと回ってみたのですが入り口はもう閉まっていました。社務所に職員さんがいたのでお聞きしたら本殿は祈願、祈祷する場合のみいれてもらえるとか、中も是非拝見してみたかったのでちょっと残念ですが、格子沿いに除いてみるとやはり綺麗に掃き清められていて本殿も重厚なつくりで素晴らしかったです。

この日は夕方の4時30分くらいに行ったのですが、誰もいなくて神社貸切状態で参拝させてもらいました。私の住んでいるところにこの神社があったら毎日参拝に行ってしまうと思います。
それくらい清清しい空気の流れる気持ちの良い空間の神社でした。