大人もぞっとする原典「日本昔ばなし」

90年代の半ばから終わりの頃に何故か突如としてブームになった「本当は怖い」シリーズ。桐生操さん、倉橋由美子さん、そして由良弥生さんの本が次々に発刊され、書店に平積みになっていたのは懐かしい光景です。元はグリム童話が発端だったのかなと記憶してますが、子供たちがわくわくして読んでいる夢のあるストーリーが実は原典は恐ろしい話だったということで、昔の子供達(大人)がこぞって読んでベストセラーになったものでした。
その後、二番煎じではないですが雨後のたけのこのように怖いシリーズが発刊されていき、ヨーロッパの話のみならず実は日本昔ばなしもこんなに怖いのですよということで原典を作者による現代訳にて紹介したのがこの一冊です。

サブタイトルはちょっとセンセーショナルに《「毒消し」されてきた残忍と性虐と狂気》とおどろおどろしさをあおっています。

誰の心の奥底にもある、残忍性と禁断―。それは理性の力でどんなに蓋をしようとしても、隙間から漏れ出し、生き延びてしまう…。『日本昔ばなし』の中の子殺しや子捨て、山姥の子ども食いの話、そして奔放な性の匂い…表立って語るのがはばかれるような人間の暗い面を炙り出す話には、『グリム童話』同様、人間の深層心理として世界に共通する面があります。日本の風土にじっとりとしみ込んだ人間の本性の恐ろしさと巧みな知恵、その豊かな「泉」を心ゆくまで堪能してください。

今回、手に取って読んだ理由があって、私が子供のころに読んで怖かったなという昔話が入っていたからなのでした。「手なし娘」という話です。
継母に妬まれた先妻の娘が、継母のそそのかしによって父親に両手を切り落とされて、淵に落とされてしまう。しかし、娘は生き延び両手がないので柿の実を飛びながら木からじかにくらいついているところを柿の木の持ち主の長者に見つけられる。長者の息子と娘は結婚するはずだったのを妬んだ継母がこんな姿にしたとは全く知らずに・・・長者は話を聞き娘を家に招きいれて、息子も生きていたことを喜び嫁として迎える。そして幸せなな日が続いていたが、息子が遠方に商売に行っている間に交わした手紙をまたも継母に捏造されてしまい、生まれた子とともに長者の家を追い出される。
さ迷い歩き、子を背負い川の水を飲もうとしゃがんだときに背中の子供が川に落ちてしまった瞬間、両手のなかった娘に手が生えて子供を抱き取ることが出来て間一髪救われる。ほっと娘が一息ついてみると傍らのお地蔵様の両手が無くなっていて、自分の両手を娘に与えてくれたのだった。娘はここに茶店を構え後に探しにきた長者の息子とも出会え親子三人幸せに暮らしたという話です。

小学生低学年で読んだと思うのですが、絵入りの昔話で両手のない娘が不自由そうに柿を食べている姿や、川に落ちる子供を抱きとめるときに出てきた腕のダイナミックな構図などが記憶に残っていました。今でも記憶に残っていますが、かなり残酷な昔話だなと他の話と比べて思ったものです。
この話は今回の話をみるとそのまま原典のままを読んでいたようです。
この本の面白いところは、ひとつひとつの話の最後に作者の解説がつくところです。
「手なし娘」の場合は「ある状況下であぶりだされる醜悪な人間心理」と題して、継母が自分の子供を大切にしたいという愛情から歪んだ思いに発展してゆき、おぞましい嫉妬と妬みによって継子を排除するという怖さなのです。
ここだけ終わるわけではなく、実は継母は継子の縁談が来る前までは良い母親だったのです。しかし、良縁という話、継子の幸せを聞き今まで隠してきた嫉妬や妬みが噴出したのでした。もし、実の娘に良縁であればこんなことにはならなかったかもしれません。
残酷さや醜悪さは実の娘への限りない母性でもあるとわかったときに二重に恐怖するのでした。

他には「かぐや姫」「姥捨て山」「糠福米福」「天道さんの金の鎖」などおなじみの昔話の原典を紹介していますが、かぐや姫は狂死しているし、姥捨て山、糠福米福は嫁、姑の角質の終わらない輪廻だったり、天道さんは母性の愛情からの子供の自立ではないかと解説しています。

現代にも受け継がれる人の心理だと気がつくと、決して残酷でもぞっとする話でもなくいつの昔から人の心というのは変わっていないともいえます。

同じシリーズでもうひとつ紹介。

日本霊異記』は人の心をつかんではなさない不思議な不思議な話
今昔物語集』は本能的、行動的に変化していった時代の人々を見事に活写
宇治拾遺物語』は室町時代の宮廷の愛読書だった
古事談』からわかる陰陽師安倍晴明の並はずれた呪力
「能」でも表現された、“物の怪”を鎮める安倍晴明
『金玉ねぢぶくさ』にも描かれた“死霊”との対決
『新著聞集』…江戸時代の人々は“身近なもの”に怪異を見た!
雨月物語』から…怖いほど悲しい男と女の話
『奥州波奈志』は江戸時代の東北地方の奇談集
 中国の「怖い古典」、『捜神記』から

上記の中の文献からの選出なのですが、現代訳になっているのでとても読みやすいです。
物語の合間にあるコラム「神様と仏様の歩み」がこれまた非常に面白いのです。
日本はもともと神道、神様を崇拝していたのですが、仏教伝来によって神と仏をあがめるようになります。後からきた仏を上手く神と融合させ広めるために、上記のような怖い物語が仏法説話になっていく様子がわかりやすく解説されています。