「普通がいい」という病

「普通」という言葉を辞書で引いてみると

ふつう
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【普通】
大辞林 第二版より
(名・形動)[文]ナリ
(1)いつでもどこにでもあって、めずらしくない・こと(さま)。
「日本に―の鳥」
(2)ほかとくらべて特に変わらない・こと(さま)。
「ごく―の家庭に育つ」「―ならもう卒業している」
(3)特別ではなく、一般的である・こと(さま)。
「―高校」

⇔特殊
(副)
たいてい。一般に。
⇔特殊
「郵便は―三日かかる」
――の体(からだ)でない
病気である。また、妊娠している。

ということらしい。実にあいまいな表現なのですが、実に奥深い言葉だなと思います。
特に(2)のほかとくらべて特に変わらない・こと(さま)っていうのは没個性が良い、皆と同じということで、それから少し外れたものをターゲットにする、昨今メディアを騒がせるいじめ問題とも繋がるものではないかとも思ってしまうのです。
人と違うことっていうのは才能であっても身体的特徴であっても、集団生活の学生時代には凄く敏感な気がします。秀でていれば嫉妬の対象、劣っていれば嘲笑の対象、いずれも人よりちょっと違うっていうのは個性であるはずなのに目立つということがいけないらしい。だからみんなどうか目立ちませんようにみんなと同じ(普通)でいられますようにって息苦しく感じているのかもしれないですね。
こういう傾向っていうのは、実に日本的だなと思うのは私だけでしょうか?

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

頭と心と体のバランスを取りもどすための10講。いつの間にか「○○しなくちゃいけない」と、思い込みにとらわれていませんか。「常識」を疑い、自分らしく生きるヒントを、精神療法を専門とする精神科医が示します。

10章に別れていて講義形式に進んでいきます。読み終えたときに普通という呪縛に縛られずに自分の個性を生かして生きてもいいのだということが理解できるような形になっていてとてもわかりやすく読みすすめることができました。
「普通」というのは統計みたいなもので全ての人に当てはまるわけではなく大半の人に当てはめたものを普通としているのはないか?別名「常識」ともいいますが、それはあくまでも指針であり、バリエーションはあってもいいのではないかと思います。個性的っていうのは私はとても素晴らしいことだと思います。