川越城本丸御殿ととおりゃんせ

氷川神社のすぐ近くに川越城の名残である川越城本丸御殿があります。
2007年の今年、川越城は築城550年となり、また日本100名城にも選ばれました。

川越城は1457年に関東管領の柳谷上杉持朝が家臣の太田道灌親子に築城させ、以後明治維新後に廃城となり取り壊されるまで川越を守り続けていました。
大部分は公園や住宅地、公共施設となってしまったのですが、本丸御殿の玄関と大広間が残っており在りし日の姿をしのぶことができます。
http://www.city.kawagoe.saitama.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1111720186503&SiteID=0
入り口にて入場料100円を支払って大きな間口の玄関からお邪魔します。重厚な造りで天井がとても高いです。大広間は装飾も質素で武家屋敷の質実剛健さを表しているような気がしました。中を入っていくと各役職のものたちの詰所があります。ふと庭をみると枯山水に見事に仕上げられてました。

さらに裏手に周って進むと続き廊下で別棟の家老詰所があるのですが、こちらは明治維新以後に上福岡市の福田家分家の母屋として使われていたものを昭和62年に移築してきたものです。
ぼんやりした暗い室内の奥に人の気配が?


なんと家老と家臣二人が地図を見て話し合いをしている再現場面だったのです!
しかし、夕暮れにの薄暗い灯りの中に座っている3体の人形にはちょっと驚いてしまいました。

見学中に施設の職員さんにお話を聞いたのですが、立派な黒く磨かれた廊下は前の部分はケヤキを削って作られているのでしっかりとしているのですが、裏手は松なので松は傷みやすく損傷が激しいそうです。この時代の経費節約だったのでしょうが保存が大変だとか・・・かなりしっかりと保存されているなと思っていたのですが、歴史的建造物の保存は大変なのですね。

本丸御殿のすぐ脇には三芳野神社があります。
子供のころに歌ったわらべ唄「とおりゃんせ」のここが発祥なのだそうです。

三芳野神社は、わらべ唄「とおりゃんせ」発祥の地といわれ、川越城内にあったため、一般の人の参詣が難しくその様子が唄われたもの言われています。 実際は、この地に関所があり、親類などの急病や危篤などの理由から手形を受けている時間のない者を、関所の役人が来た方向とは反対側へ通してくれ、帰りは手形がないため関所を通ることに困ったことを唄ったものとされています。

朱色の社殿は傷みが激しかったのですが、歴代の川越城主の信仰を集めただけあって往年の時代にはさぞかし立派な社殿であったであろうことがしのばれます。
天神様ということだけあって、菅原道真を祭っているようです。

とおりゃんせ とおりゃんせ
 ここはどこのほそみちじゃ
 てんじんさまのほそみちじゃ
 ちょっととおしてくだしゃんせ
 ごようのないものとおしゃせぬ
 このこのななつのおいわいに
 おふだをおさめにまいります
 いきはよいよいかえりはこわい
 こわいながらも
 とおりゃんせ とおりゃんせ

川越城三芳野神社の歴史を知ると「とおりゃんせ」の歌詞の意味が理解できますね。

そうそう、境内では学校帰りの子供たちが何人か遊んでいてのどかな時間が流れていました。子供たちは今でもわらべ唄のとおりゃんせを歌っているのでしょうか。