手紙、アナログの良さ

私には今でも文通をしている友人達がいます。
手紙が先方までに届くプロセスを考えると便箋を買ってくる、手紙を書く、切手を貼る、ポストに行って投函するという実に手間のかかる作業をしないと手紙は届きません。
便箋を選ぶにしてもお店に出向いて選ばないといけません。
便箋に向かいパソコンのキーボード入力に慣れた今、非常にめんどくさいなとおもいつつも文章を書いていく作業は書きながら考えてゆくのでゆっくりしたスピードで作成と構成を進めながらの文章を編みだす作業となります。頭の中から引っ張り出した文字を文章にして一つ一つ書き手紙がかけたら封筒に入れて封をして切手を貼って手紙が完成です。

切手も季節の華やかな記念切手がたくさん出ているのでこれも手紙の楽しみのひとつ。
ポストに投函して、相手に届くのは1.2日後、到着した手紙を相手が読んで返信のやりとりが繰り返されるというわけです。

今のスピードの加速する大量情報社会においては手紙というツールは上記のようなプロセスを踏むので非常に時間のかかる、手間のかかるもので時代遅れなのかもしれません。でも、そんな時代遅れのアナログ感が10年や15年の長きに渡って文通が成立してきた秘訣のひとつだとも思うのです。
ペースがのんびりなので、お互い思い立ったときに出せばよいし、また電話をしてもいいし、会うときもあります。でも手紙だけはなぜか外せないものとなっているのが面白いなと思います。手紙の良さは一ヶ月に一回の往復でも充分大丈夫、三ヶ月でもオッケーってな感じでお互いに負担にならないペースがいいのかもしれませんね。
ゆっくりした時間で待つ楽しみというのが感じられてとてもイイと思うのですよね。

携帯のメールだと短文の言葉、文章で濃密に往復することができますが、それは時として相手との距離を近づけすぎることにもなりかねません。
そんな部分が気軽でありながらもなんとなくモロさを感じるのですね。デジタルのなす時間の早さが待つ時間をはしょったために情報だけが感情だけが早期に成長してしまい人間関係を築くスピードが追いつけないのかなと思います。

そんな情報社会のスピードに疲れたら、ハガキや手紙をおススメします。
手間のかかるもの(アナログなもの)にたずさわるというのは人間にとって大事なものなのだと思います。

そんな文通で知り合ってはや22年の友人が本日、二年弱の日本滞在を経てシンガポールに旅立ちます。ひょんなきっかけで知り合ってお互い、転居がやたら多かったのにも関わらずに連絡が途絶えなかったのは奇跡としかいいようがありません。この奇跡をつなぐツールは手紙なくしては語れませんでした。
彼女は結婚してオーストラリアに在住をしていたこともあったので今回の日本滞在も思ってもいなかった出来事でしたし、ホント願っていると物事って実現するものだなぁと見えない力を感じたものです。

そんな友人とそのファミリーのシンガポールでの新しい生活が幸多きことを心より祈っています。
どんなに遠く離れていてもこれからも宜しくです。
そして、また会いましょう。