岩舟町の小野小町の墓

唐沢山神社から次に向かったのは岩舟町です。
岩舟町は蕎麦の町としても知られていて今調度、蕎麦の花が満開です。小さな白い可憐な蕎麦の花はどこかはかなげで美しいです。

前回、県道75号線を通過中に気になったものが一つありました。今日はその気になるものを見に行ってみます。
それは小野小町の墓です。
まずは大慈寺という天台宗のお寺に向かいます。
http://www.cc9.ne.jp/~daijiji/
天平9年行基が創建したといわれており、慈覚大師(円仁)が修行をしていたそうです。

広大な敷地はかつて修行僧がたくさんいたころをしのばせています。本堂は1845年の火災以来、仮本堂となっているそうな。
  

慈覚大師さんは愛嬌のあるお姿です。

なぜか入り口に元米国駐在大使のライシャワー氏の記念碑がありました。

親日家であり円仁研究家であったライシャワー氏が昭和39年に大慈寺を訪れたときの記念碑なんだそうです。

そんな大慈寺平安時代六歌仙としても有名な小野小町が辿りついたという伝説があるそうです。

晩年を当地で過ごし、病にかかり崖から身を投げたという哀しい最期だったといわれています。この大慈寺のある一体の地域はそんな小野小町伝説から小野寺という地名で今も残っています。

小野小町伝説は宮城県、山形、福島、栃木、茨城などたくさんの地域に残っていてお墓とされる場所も岩舟町以外にもたくさんありますが、それだけ小野小町は当時は才色兼備の美人の才女として名を馳せていたのでしょう。
大好きな小野篁の子孫といういわれが私にはたまらない浪漫を感じます。

さて、ではお墓に向かってみましょう。

大慈寺と道路を挟んだ向い側の畑の真ん中に小野小町の墓はあります。
大きな看板が出来たのでわかりやすくなっていますが、田園地帯にいきなりこの看板。かなりのインパクトがあります(笑)
 

農道を50mほど歩くと、小野小町の墓がありました。
お堂を作ったりして、かなり整備がされていました。真ん中にある石が小野小町のお墓です。
 

どこまでものどかな風景が広がっています。
蕎麦の花の可憐さとはかなげなさが小野小町に似ているなぁと思います。
 

小野小町がこの地の最期を迎えたならばきっと心穏やかな晩年であったのだろうなぁと思いたいですねぇ。お堂に吹く、涼しげな秋風がどことなく哀しげにも感じました。