ヨコハマメリー

生まれてから10歳まで横浜に住んでいました。
そんなわけで30年経っても時折、横浜の町に行きたくなるときがあります。
近代的なみなとみらいなどのきれいに整備された人工的な町並みではなくて伊勢崎町やら野毛、中華街、元町などの裏通りの雑多な町並みを見るとおぉ横浜に帰ってきたなぁと実感するわけです。
極めて人間臭い場所になぜか郷愁を覚えてしまいます。

そんな、思い出の地の横浜伊勢崎町には有名人がいました。
その人の名はメリーさんといいました。
顔は白塗りでエレガントなドレスを着たおばあちゃんです。
パントマイム役者のような白塗りが強烈な印象となり、子供の目に焼きついたのでしょうか、記憶を辿ると伊勢崎町で見かけた想い出が鮮明に蘇ります。

そんな有名人のメリーさんのドキュメンタリー映画が出来上がったと聞いたのは数年前でしょうか。ネットで知り、映画館まで行こうと思いつつも月日は流れ・・・すっかり忘れていたときに先日、レンタルビデオ店に行ったらパッケージが目に飛び込んできて、これはもう見てくれというばかりに思えて有無も言わさずに借りてきました。

ヨコハマメリー [DVD]

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伊勢崎町の街の記憶を辿りながら、メリーさんに関わった人たちのインタビューで静かに静かに映画は進行してゆきます。
メリーさんは伊勢崎町で街娼を生業としていましたが、気位は高く、お客はアメリカの将校専門だったそうです。
伊勢崎町界隈には当時そんな場所がたくさんあったそうです。
そんな戦後の混沌の時代の中でたくましく生きた女性の一人だったのです。

戦後が終わってもメリーさんは街角に立ち続けました。経ち続けた理由もこの映画の中でわかります。
年を取って腰が曲がってしまっても、家を持たずにビルの廊下やファストフードで眠るメリーさんに何かを感じて、支援をしたたくさんの人々に愛されて伊勢崎の街にいたのですが、ある日姿を消してしまいます。
姿を消した理由は死んだなどといろいろ言われましたが、故郷に戻り、の養老院にいるとわかります。長年の盟友、支援者であったシャンソン歌手の永登元次郎さんが慰問に行きメリーさんがその歌声を穏やかに聞いているいう終わりがなぜか妙に切なく、その小さな身体で日本の戦後の復興期を街娼という形で体現したのだろうかと思うと涙が止まりませんでした。
戦後の日本は明るい皆が夢に溢れていました。その反映の一途が太陽ならば、その日本の復興の裏にあった日本の影の部分が街娼の存在なのかもしれません。
影の部分も実はたくましく息づいていたという、メリーさんはきっとその象徴なのでしょう。だからこそ、私たちが忘れてはならない話、事実として後世に伝えてゆかなければいけない物語なのかもしれません。