入院生活が教えてくれたもの

禁煙続行中のmonksiiruです。昨日もまた素敵な悪夢を見ました。その内容とは?
私は何故か橋下弁護士のお宅に訪問。二階に案内されると奥様と5人のお子様がいました。「家がね最近かたむいているのですよ」と相談を受けて「みなさんが一箇所に集まるからではないでしょうか?」と答えました。なんの意味があるのでしょうか??
今朝、テレビ見たら橋下弁護士が出ていらっしゃってお家傾いてますか?と一人つっこみしてしまったわけです。今日は丸山弁護士と川で河童のように泳ぐ夢でも見るのでしょうかね?

昨日と同じく2時間ばかり寝たあとに目が覚めてしまったので本を読んでボケーっと考え事をしていたのですが、この状況。子供の頃に入院していたのと似ているなと思い出しました。

小学校4年生のときに三ヶ月ほど入院生活をしたことがあります。小児病棟っていうところにほっぽりこまれました。大部屋で確か4人が一部屋に入院していたと思います。年齢もさまざま、一番上のお姉さんが確か中学1年生で次が私だったと思います。

初めての入院生活で家族(親)から引き離されての生活になったのですが、入院当時は瀕死の状態でベッドにずっとくくりつけられておりました。そんなときに中学生のお姉さんがいろいろ面倒を見てくださいました。入院生活を続けていくうちに小児病棟の生活にも慣れていったころに小さな5才くらいの女の子(Aちゃん)が新入りさんで入ってきました。

お姉さんはもう退院してしまっていたので、今度は私がAちゃんの面倒を見るように自然となっていったわけです。夜になると寂しいのでしょう。良く泣いていたのを思い出します。そのうちにAちゃんも入院生活に慣れてきて本当に姉妹のように一緒にマンガ読んだりと遊んでおりました。

2人で楽しく遊んでいたある日に調度同じ年の5才になる新しい女の子(Bちゃん)
が入院してきました。Aちゃんよりももっと寂しがり屋さんで本当によく夜になると泣いていたりしていたのでBちゃんのことを気遣うようになっていったのです。

そして、ある日、事件は起こりました。
朝、目を覚ましてベッドの横にあるうさぎの人形(ハッピッピとなずけて本当に可愛がっていたのです)の顔面のオデコにボールペンでグジャグジャの落書きがぁぁ!
父親に買ってもらって汚くなっていましたが大事にしていたハッピッピです。
おお泣きしてしまい看護婦さんも駆けつけて大騒ぎとなってしまいました。

そんな中でAちゃんがいきなり「ごめんなさい」と私よりも大声で泣き出してしまったのです。落書きをしたのはAちゃんだったのです。

看護婦さんが話を聞くとBちゃんばかりに目を向けていたので寂しいから落書きをしたとか・・・言葉で自分の存在を表現できないゆえの行動だったようです。
後日、Aちゃんのお父上からたくさんのぬいぐるみをお詫びでいただいたのですが私にとってはハッピッピが一番ですからマジックリンで看護婦さんに落書きを落としてもらいました。

その後はAちゃんともBちゃんとも更に仲良くなっていき私は退院していきました。
もちろん落書きされたハッピッピも一緒です。

この入院生活では本をたくさん読んだこともなつかしい思い出ですが、年齢が違った子供と過ごした中で得たたくさんのものをいただいたような気がします。

子供っていうのは言葉で表現できないことがあるのですよね。そんなことを教えてくれたのがAちゃんとの出来事だったわけですが、この出来事を通して子供の行動やらそういう無言の部分から気持ちを読み取る力というのも大切なのだと感じました。
そしてその行動が間違っている(相手に対しての攻撃)であってもそれは結果であってやはり「自分を見て欲しい」という強いアピールの形であるというのも学びました。

それと、中学生のお姉さんが私の面倒を何かと見てくださってくれたから次にも自然にAちゃんやBちゃんの面倒を見ることが出来たのだと思います。教えてもらった(受信した)ことを行動(発信する)ことが自然に学び取れたというのも大きな財産でした。
受信をさせてもらったからこそ出来たことだと思うのです。

入院生活は病気との闘いでもありましたが、こういう大きな財産を得たことは今でも感謝しています。

でも大人になったら、たどたどしくてもやはり自分の言葉で伝えたい(発信したい、表現したい)ものです。