大人の小論文教室

昨日から禁煙を始めたわけですが、ニコチンパット貼ってから非常に眠かったです。だるいしと夢遊病状態。そんなわけだったんで晩御飯食べてとっとと寝ました。そうしたら悪夢を見てしまいました。
エルンストの聖アントニウスの誘惑みたいな悪夢。変な悪魔に追いかけられて頭にきて振り返って、悪魔のほっぺたつねってあげてたらつねりかえされました。リアルな体感で結構面白いじゃありませんかと思いつつもやはり夢は楽しいものが良いです。
二時間後に目が覚めてしまったので読んだのがこの本です。

おとなの小論文教室。

おとなの小論文教室。

小論文の具体的な書き方というよりも「表現をする」をするということについての素晴らしさと「表現とはなにか?」ということについて書かれています。そして「表現をする方法」についてです。調度、自分の表現力がなくて相手に伝わらないジレンマを感じていたところだったので自分で呼び寄せた本のような気がしました。
手に取る本で私はその時の気持ちがわかったりします。タイトル借りをしたときで答えや指針がみつかることが多いです。なのでまずは本を手に取って読んでみるわけす。

作者の山田ズーニーさんは

>><表現というものの固定観念
絵や音楽やパフォーマンスという枠組みを作ってしまっていている。いきなりハードルが高くなってしまっている<<
と書かれています。そうなんですよね。そこでハードルを低くして自分を表現してみるという風に考えてゆくと言葉や文章で自分のことを知ってもらうこと。これも表現なんだということに気がつくわけです。

表現とは発信ですから受信(受信する、理解する、覚える)が多いと発信する機会が少なくなっていき練習が出来なくなってしまい、そのままになってしまいます。
人付き合いが苦手・・・という人は、かくいう私も苦手ですが、発信(考える、つくる、発信)することが苦手な人ということになるのですね。
発信するのが苦手っていうのは失敗が怖いということでもあるのだと思います。恥ずかしいっていう気持ちとかプライドとかね。そういうとっかりをなくして身近な人から友人や家族から発信の練習をしていくとぐんぐんと発信力がつくのではないかと思います。

また、コミュニケーションについての章ではメールなどを送るときに相手に気を使いすぎていて一歩踏み込めないという話が出てきます。
これも読んでいてそうなんだよねーって思いました。メールなどのやりとりは受信-発信の-受信の一回ずつのレスポンスのやりとりが暗黙の了解いつからか決まってきています。
このルールを少しでも踏み外すと「しつこい」なんて思われないかと知らないうちに人との距離をとるようになっているのでしょうね。
昔は電話なんかでもどっちからとか決めずに電話しちゃっていたのに、いつからこんなに気をつかうようになったのか。

>>もともとメールとは、相手と距離をとるための道具だ。<<
そうなんですよね。だから何かを伝えたい(表現したいとき)は発信して行ったほうがいいのですね。発信しないでずっと待っているよりもスッキリしますよね。
うーんメールというやつは難しいというのは私も常々感じる次第です。

最後に一番印象に残った言葉は
>>コミュニケーションは最大の武器である<<
です。
うーんそうそう。どこにいっても発信して自分を知ってもらってコミュニケーションをしていかないといけないんですよね。行動とか無言で相手にわかってもらおうとしていた自分に大変反省をした次第です。
自分がまず自己開示をしておかないと相手も自己開示は出来ないと思います。自己開示というというと大げさになってしまいますが要するにとっつきやすいひとになってゆけば良いのだと思っています。とっつきにくいというイメージだけでコミュニケーションの機会を失っているとしたら大きな損害ですから。
今日からの第一歩まずは自分を知ってもらうための表現力をつけてゆきたいと思います。
言葉でも文章でもたくさん自分(私を)知ってもらうために。

齋藤孝先生の「偏愛マップ」なんかも表現力をつけるのにとても良いアイテムになると思います。



☆彡禁煙して良かったことをいくつか。
肩こりと坐骨神経痛が緩和されました。
タバコを吸う時間がなくなったので仕事が早くできるようになりました。
というのが出てきました。吸いたい気持ち・・・たまーに来ますがここにはタバコがありませんからねーさてとがんばりますか。