人間関係に奇跡を起こす83の方法
本日は非常に眠いです。そこらへんで眠れそうです。今なら草っぱらで寝たら気持ちよいでしょうね。しかしお天気も良いことですし頑張りましょうってことで元気(カラ元気かいな?)に頑張ります。
同業者から5年前に禁煙をした取引先の社長さんが以前と全く変わったという情報を聞いて先日、拝見してきました。いやーびっくり。お肌つやつやで顔色がとても良いのです。5歳は若返ったような感じでした。以前はどす黒い顔(スモーカーズフェイスというそうです)ってイメージがあったんですっかり見違えておりました。また素晴らしい目標になる方が増えました。ちなみに禁煙をしたきっかけは事務所が辺鄙なところに移転してタバコを買いに行くのがある日おっくうになったからだとか。人それぞれのきっかけなんですね。
禁煙を始めたから感性が鋭くなったというわけではないのでしょうが、最近ちょっと気になることがあります。
「○○さんはこういう人だ」とか「○○はこうだから」という確定(決め付け)の言葉がなんとも違和感を感じるのです。一面からみたらそうかも知れないのだろうけれども、もしかしたらもっと違った面があるのではという可能性をばっさりと切り取ってしまう言葉ではないかなと思うことです。
また、「私は○○な人だから」っていうのは自ら可能性を遮断してしまっていて、周りにも宣言しているような気がして、しかも周りの人にもそれを合わせろとゆるく遠まわしに強要しているんじゃないかなと感じるのです。
上記の社長さんも人の評価が本当に違う方です。あの人は人使いがあらい、図々しいと酷評する人もいれば、頑張っていつも前向きだから凄いという人。それぞれの見方なんでしょうね。私はバイタリティある人だな、いつも元気な声で話すパワーのある人だなと思います。
決め付けをする前にまずその人の良い面を見つけてみるといいのかも知れません。
人は一面だけで見てはいけないと思います。たくさんの可能性があるのだと私は思います。
一面で決め付けるのはもったいないですねー。
- 作者: 石原加受子
- 出版社/メーカー: 大和出版
- 発売日: 2006/01
- メディア: 単行本
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (3件) を見る
嫌いな人と付き合うには無理しなくてもいいのだよ、などいうありがたい言葉がたくさん溢れています。読んでいて良かれと思ってやったことがアダになった苦い経験が蘇えってきたりしました。結局よかれと思っていたのは私の自己満足だったのかもなーって。相手にはうっとおしいと思われていたのだろうと。
万人に好かれようとするから、人の目を気にしてしまうのは何故か?
自分を良く見てもらいたいという心の現われなんですね。
人は人、私は私というスタンスを築いていけば人間関係はとても楽になれるのだと思います。自己中心的という意味ではなくてお互いの自己の尊重ってやつです。
でもそれがなかなか出来ないのが人間ってもんです。
本当に毎日が一喜一憂の修行ですね。