田園に死す

先日、東京カルカルの仏像マニアックス3
東京カルカルトークイベント 仏像マニアックス3 - monksiiru(もんくしーる)の日記で取り上げられた数々の立体地獄を見て、ふと思った東北の地獄のイメージは青森の恐山です。
南国のような地獄の業火のカラフルでエキサイティングな明るい陽気な雰囲気の地獄とは打って変わって、妙に重苦しく根雪のように胸の中に押し迫ってくるのが東北の地獄のような気がします。
南国の地獄は中川信夫の映画、「地獄」地獄 (1960年製作) - monksiiru(もんくしーる)の日記でしょうか。

死がいつもそこに近くにあったからこそ、地獄よりも先に賽の河原、三途の川などの冥界の入り口が実は毎日の暮らしの中で背中合わせににあったのではないでしょうか。
だから現代の私たちから見ると死者の口寄せをして降霊するイタコの存在など、とても異様にも見える風習も、ここ東北では死者(冥界)との共存が当たり前にあったので日常の延長の背景となっているのでしょう。
恐山の存在それは信仰というだけではなく、東北の暮らしの生きる中での厳しさの象徴でもあるのかと思えてしまうのです。

そんな東北のさいはて青森に生まれたのが寺山修司です。
詩人、歌人俳人、エッセイスト、小説家、評論家、映画監督、俳優、作詞家、写真家、劇作家、演出家など多彩な才能を発揮して駆け抜けるようにして47歳で逝ってしまいまいした。
そんな寺山修司の作った映画が「田園に死す」です。

田園に死す 【低価格再発売】 [DVD]

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74年に製作されたそうですが、混沌とした息が詰まるようなおどろおどろしさが画面に広がって釘付けになります。出演者たちもひとりひとり癖があってたまりません。
ストーリーは恐山のふもとで母と暮らしている少年が東京に行くまでを描いたものなのですが、画面の中から絶え間なく、恐山を象徴とした「死」と隣り合わせの生活が、生きるための死が見えてきます。
恐山、村社会、隠し念仏、間引き、サーカス団、母殺し、さまざまな闇の象徴ともいえるアングラ的なエッセンスがちりばめられていてそれが実に美しい世界観をかもし出しています。

音楽は寺山作品ではおなじみのJ・Aシーザー。この人の曲は合唱のような繰り返しの旋律や和のテイストがたくさんちりばめられていて実に耳に余韻を残します。
たとえるならば、熱にうなされているときに幻覚の中からきこえてくるような旋律ともいう感じでしょうか。なんとも言えないんですよねぇ。すっかりはまってしまいました。

意匠はなんと花輪和一先生です。タイトルジャケットも花輪先生です。この頃の画風はシャープな感じこれもまたイイですね。

田園に死すを見ていて思い出したのは「楢山節考」で有名な小説家、深沢七郎の短編「みちのくの人形たち」です。

みちのくの人形たち (中公文庫 A 99-3)

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やはり東北の間引きの話しなんですが、こちらも東北の背中合わせの死、生きるための死を感じるお話です。