義母の死から・・・一周忌と命日

年が明けて気が付いたら2月ももう終わりになっていました。
2月14日に菩提寺にて義母の一周忌を執り行いました。
親戚の方も参加してくださり、たくさんの思い出話に花が咲き天国の義母も喜んでくれたかなぁと思いつつ涙をこらえました。その時に親戚のおじさんがおっしゃってくれたことが私の心にとても響きました。
「喪が明けるというのは四十九日や一年などの区切りではなく、その人の心の中で明けるまで。それまではずっと明けなくても良い」という言葉です。
おじさんの父上が亡くなったときは、悔いはなかったそうです。それはおじさんが死ぬまでに、できることはすべてしたという事があったからの言葉だと思います。
旦那やその弟達はできることをしてあげることもなく、突然時間を切断され義母は天国に行ってしまいました。親族の誰にも看取られることもなく・・・・。そんな思いを汲んでの話をしてくれたのだと思いました。

そして、2月17日がまたやってきました。
昨年のあの日のとても寒かったこと、病院から自宅に戻るときの雨の冷たかったことが今も昨日のように記憶から離れません。
私たちの時間は止まったままなのだなということを嫌というほど感じた命日でもありました。旦那は今もあの事故のあった交差点に行くことがとても苦痛だと言っています。
刑事裁判が終わり、加害者は執行猶予がついて現在シャバにいて自由ということが、司法の裁きが終わったといえども、私たちの心の中では許せないのです。そう思っちゃいけないのでしょうか?私はキリストのような寛容な人間にはなれません。

今年に入って民事訴訟に入りました。
弁護士さんを通じて相手の損害保険会社とのやりとりをしていましたが、弁護士さんの背中押しもあって訴訟に踏み切りました。
先日の22日に第一回口頭弁論がありました。民事訴訟の場合は、弁護士さんが出廷をするだけで進んでゆくそうなので、今回は私たちは出廷をしませんでした。
今日、口頭弁論での相手からの答弁書の副本が届いたので目を通すと、当たり前ですがこちらの主張を却下しまくっておりました。
義母は弟と同居をしていて、死の時まで食事作り、洗濯、掃除もろもろの家事をしていました。身体が悪くなってもしておりました。なのに答弁書には軽く訳すと「年寄の婆さんなんだから家事従事なんてできるわけないでしょ!やっているなら証拠を見てよ!フンっ!」とありました。
あのー・・・・私の76歳になる生きている私の母はバリバリ食事作りやら家事に今日も従事していますが、弁護士先生は年寄はみんな家事しないとでも思っていらっしゃるでしょうか?ついでに単発でお仕事もしてますが・・・。他にも80歳でも元気に家事している人もいっぱいいる環境の地に住んでる私がおかしいのか?おかしいのか?と自問してしまいました。
特にムカついたのは「墓前の墓参りは行ってやるというのに来るなと言われたからいけなかっただけ!葬儀にはちゃんと出ているでしょ!事故現場に献花もしたんだからもう充分謝ったんだからがたがた言うな。これでいいでしょ!」という部分・・・・。
マジで目の前にいたら、この女弁護士ぶっ飛ばしたいと思いました。
他にもあれやこれや請求を却下してきているようです。やれやれ・・・。
第二回口頭弁論は3月だそうです。長い戦いはこれからです。

そうそう、いつも行く近所のセブンイレブンで昨年に加害者の会社の社長さんにお会いしてしまいました。あちらは気づかなったようでお子様と楽しそうにしていらっしやいました。思っちゃいけいないのかもしれませんが、なんだかもやもやしました。

私たちにも楽しかった義母と過ごした日常を返してください。

裁判なんていいだよ。かあちゃんを返せ!って叫びたいです。

義母にプレゼントしたかった大好きなラベンター色のクマです。喜ぶ顔が見たかった・・・。