義母の事故死から・・・ 

2月17日に突然の交通事故により亡くなった義母。
葬儀も終えて四十九日法要も終えて義父のいるお墓に入ったわけですが、残された遺族である私たちのやりきれない思いと苦悩は益々大きくなっているのかもしれません。

交通事故の相手、義母をひき殺した相手、加害者がいるという現実を嫌というほど感じさせられた約4か月でした。

交通事故の相手は男性で私と同じくらいの年齢の40代会社員。業務中だったそうです。
一般ゴミや事業ゴミの集積をする会社に勤務していて、ゴミ集積車を運転中、六差路の交差点を右折して曲がろうとしたときだったそうです。
右折側にあった横断歩道を青信号で自転車で渡ろうとした義母がいたのに気が付かずにぶつかり、義母は自転車ごと転倒し、集積車前方運転席下に巻き込まれ、引きずられたまま走行されてようやく停止をしたそうです。
現場検証をした警察官の方にお聞きしたところ、大きな事故で、自転車を電気カッターで切断しての救出だったそうです。集積車の低い車高の下に入り込んでしまった義母は骨盤がぐちゃぐちゃになるほどの損傷を受け大量出血していたと聞いたときには気を失いそうになりました。

連絡を聞き、搬送された病院に到着したときにはすでに亡くなっていました。
唯一救いがあるとすれば、昨年、膀胱がんの治療でお世話になった総合医療センターに救急車がたまたま運んでくれて、その時にお世話になった先生が必死に蘇生をしてくれたことです。これはきっと何かの縁だったのかなと先生もおっしゃっていました。

その後、自宅に戻ってきて、慌ただしく葬儀の準備に入り通夜、告別式にはご近所の方を含め、たくさんの方が参列してくださいました。そして、義母の突然の死を悼まれてくださいました。
しかし・・・通夜を終えた後に参列者の芳名帳を整理しているとなんと、加害者の会社の代表他社員、そして加害者本人の名前があったのです!
・・・・私たちに何の断りもなく、加害者たちが焼香をしていたということに怒りを覚えました。
翌日の告別式も参加したい旨の記載があったので翌日は葬儀社さんから連絡をしていただき参列を拒否しました。
このあたりから加害者への不信感が強まってきていました。

いきなり、葬儀が終わった後に訪宅をするような勢いが怖かったので、警察を通して四十九日が終わるまでは連絡をしてほしくない旨を伝えてもらいました。

4月になり、四十九日法要も無事に終えて、一安心していたころに加害者側の損害保険会社の担当から夫に連絡が入りました。
示談の話がしたいということ。そして、加害者と加害者の両親、加害者の勤務先の会長、代表、役員が義母のために線香をあげたいということでした。
総勢7名で押しかけてきたいとの要望は、到底受け入れることはできませんでしたので、加害者と勤務先の代表のみの訪宅を許可し、5月8日の母の日に保険会社の担当とともにやってきました。
加害者と代表には線香だけをあげてもらい、献花、供物は遠慮させていただき、お詫びの言葉が一言あったと思いますが、それ以上同じ席にいるのが耐えられないのでご退室願いました。これからももっと来たい。お墓にもいきたいと言っていたそうですが、もう来ないでほしいとの旨伝えました。
この人たちは相手の気持ちは全く考えず、自分たちがこれだけやったやってやったという積み重ねだけがほしいのでは?と感じ違和感と不信感がさらに募ってゆきました。

そして、保険会社の担当者は輪をかけて・・・ホント酷い対応でした。
保険の話で義母のことを「死んじゃったから」って言葉何回言ったでしょうか?かなり連呼していて覚えているのはこの言葉ばかりです。
要はとっととこれだけ保険金をあげるから示談書書けって感じですかね。
まぁ、それが彼の仕事なんだから仕方ないけれど、私が出会った保険担当者の中で最低ランクに入る言動とお人柄に感動すら覚えました。

後で気が付くのですが、刑事裁判が始まるまでに示談のアクションを何かしらしたかったみたいですね。
でも、刑事事件の日程とかこのときすでにわかっているのにはぐらかして「うちは刑事裁判は関係ないですから」って感じです。ホントは結構関係あったのですけれどね、この一件で保険会社にも不信感を持ちました。

刑事裁判の通知はもらえるように警察で遺族調書を作るときにお願いしていたので、4月の終わりには検察庁から通知が到着していました。
裁判前に検察庁に夫と出向き、検察官から事件記録を見せてもらうと、事故の概要が詳しくわかりました。裁判の傍聴もできるというので参加することにしました。
裁判では意見陳述もできるというので、夫が義母の無念の思いを裁判で述べることにしました。

5月の終わりに裁判が行われました。
刑事事件の裁判を傍聴するのは、まして遺族として参加するなんて全く初めてのことです。
夫と義弟、そして私の三人で傍聴をしました。
結果としては、傍聴して良かったと思います。
事件の詳細がよくわかりました。しかし、それにも増して怒りを禁じえないようなことを加害者、弁護人から聞かなくてはならないことが本当に苦痛でした。

加害者から見たこれまでの経過としては、葬儀には出席しました。告別式は出ようと思ったけれど、拒否されたので外から手を合わせました。謝罪文を書きました。受け取ってもらえませんでした。訪宅をしました。献花も持って行ったのに拒否されました。3分しかいられませんでした。加害者の謝罪やアクションを全て受け取らないお前らが悪いと言われている感じがしました。

そして、その押しつけの極みが判明したのです。
事故現場の交差点の電信柱には献花がいつもくくりつけられていました。事故直後は義母の親しい方たちが献花をしてくださったと聞いていてそれはありがたいと思っています。しかし、その後もずっと献花があり、私たち遺族としては義母の魂がここにずっととどめさせられているような気がして、もうやめてほしいと常々思っていました。
そして、裁判でこの献花の主が判明したのです。
加害者と加害者の両親が献花をしていたと・・・・。
裁判まで毎日やってきたから情状酌量の中にいれてほしいというような内容でした。
なぜか裁判では加害者の両親がやたら介入してきまして、これも非常に違和感を感じました。だって40代ですよ?20代だったらまだしも・・・・。

裁判が終わった後はさっさと退席しようと思ったのですが、加害者と両親に取り囲まれて「申し訳ありません」と謝罪されたのですが、これも正直言って裁判官へのパフォーマンスにしか見えませんでした。

裁判の終わる手前に遺族代表として夫が意見陳述をしました。原稿用紙3枚半ほどでしたが、私たちの思いを裁判という公的な場で述べさせてもらうことができました。

判決は次回に持ち越しとなり、昨日、判決が出ました。
結果は禁固一年四か月、執行猶予三年です。
前科がないことなどもが考慮されて執行猶予がついたようです。
人を殺してこれだけ?と思うのですが、交通刑務所の不足、交通事故の刑事事件の多さから刑は概ね軽いのが実情だと事前に知らされていたので、大きなショックはありませんでした。私たちにとっては義母はもう戻ってこないのですからどんな重刑でもむなしいだけです。

判決が出て退席しようとしたときもまたまた加害者の母親がこちらに駆け寄ってきて「申し訳ありません」と連呼してくるのでほとほと困りました。
加害者本人、父親もやってきて謝罪しているのですが、私には全く響いてくることはなく、「この人たちに何を話しても通じないのだろうな、自分のやっていることが正義なんだろうな、相手のこと、受け手のことなど考えずに自分たちの辛い思いをどんどんこちらに山積みにして置いてゆく」のだなと思いました。

加害者にとっては、刑事裁判が一つの区切りになったのでしょうが、私たちの遺族の心の平穏が訪れるのはまだまだ先のことなのに・・・。

これが昨日までの経過です。
本当に疲れました。

2月17日からいろいろありすぎて、ブログで書かせてもらって少しすっきりしました。
また、今後の経過もつらつらと書きたいと思っています。

最後までお読みくださりありがとうございます。