<スピリチュアル>はなぜ流行るのか

ここ数年のブームで「スピリチュアル」というのがあります。スピリチュアルというとオーラの泉などでお馴染みの江原啓之さんと思う方も多いと思います。スピリチュアル、魂の世界のカウンセラーとして今やテレビなどにひっぱりだこの人気者ですよね。江原さんが出てくるまでスピリチュアルなんて誰も言っていませんでしたからこの言葉自体にも人気の秘密がありそうです。そんなある日突然沸いて出たスピリチュアルブームを解読しようと試みたのがこの本です。

<スピリチュアル>はなぜ流行るのか (PHP新書)

<スピリチュアル>はなぜ流行るのか (PHP新書)

今いちばん会いたい人は江原さん。愛読書は『キッパリ!』。本当の自分を探している。「スローライフ」に憧れる。ブログやSNSで心通わせる。「オーラ」を信じる。癒されたい。「千の風になって」に涙する。----「自分のことだ」と思った人も、当てはまらない人も。私たちの身の回りにあふれる「スピリチュアルなもの」とのつきあい方を、少し考えてみませんか?
目に見えないなにかとつながる感覚----<スピリチュアル>。今なぜ人々の心をとらえるのか? 宗教・心理・社会学の最新研究を盛りこみ、身近なブームの深層に迫る。宗教の役割が希薄になった日本で、「癒されたい」「救われたい」「つながりたい」という声なき願いに応えてくれる存在とは。現代の若者やコミュニケーション、メディアの実相も浮き彫りにする、<スピリチュアル>の本質がよくわかる画期的な入門書。新しい時代の読み方がここにある!

非常にわかりやすい解説でこのブームを読み解いていてなるほどなぁと思いました。
ムラ、家族の共同体も希薄ななかで人々は孤独を抱えている。生活は豊かにはなったけれども心はどこか満たされない。、オウム真理教以降、日本人は宗教に対して警戒心をもつようになっており宗教にすがるほどではないけれども何かの支え道しるべが欲しい。
そんなときに出てきたのが「スピリチュアル」なのだそうです。
宗教とは違ってあくまでもマイルドで親しみやすさがあり、自分探しをするべく魂と向き合うスピリチュアルは宗教観念の薄い現代の日本人にとって非常に受け入れやすかったのでしょう。
「ジュピター」、「千の風になって」などが多くの人に受け入れられ、聴かれたという背景は魂の繋がりからくる共感させるムーブメントとして考えてゆけば理解できるものです。
そして今一番の魂の繋がりとしての場所はやはりネットになるのでしょう。ネットの中の人格の存在の希薄さを埋めるものとしてスピリチュアル、魂の繋がりを感じる人も多いそうです。
広義のカテゴリとしてスピリチュアルと考えてゆくと自己啓発の本「キッパリ!」なども含まれるとか。自己啓発も確かに魂と向き合わなけば(現実と向き合わなければ)いけない過酷な作業ですのでスピリチュアルと呼べるのでしょう。

ここには紹介されていませんがその後大ブームになった「そうじ力」もこのスピリチュアルブームの余波があったからこそあれだけ爆発的に売れたのだと思います。
これもまたマイルド自己啓発セミナーというべきもので自己啓発セミナーはうさんくさいけれどもそうじならばすぐ出来ること、そして結果を見ることができる。素直に達成感、喜びを感じる日常生活の家事実践ということが受け入れられた理由だと思います。
例えばトイレの便器の中に手を突っ込んで掃除をするということを嫌だなぁと思っていても一度やったら次は楽に出来るようになります。一番汚いと思うことをすることによってカタルシスをおこして殻を破り自信をつけるのですね。まさに自己啓発です。

私はもともと精神世界、オカルトや不思議なものが好きで(この3つを同位置に入れるのは私の好奇心というカテゴリからです)スピリチュアル、アカシックレコード、前世などなどについて子供の頃から興味を持っていたのですが、現実主義の大人にはくだらないってよく言われていました。そんなわけでスピリチュアルという言葉が世に躍り出てきたときには世の中も変わったなぁと思ったものです。今までは精神世界に興味のある一部の人間(ニューエイジなど)くらいしか知らなかったことですからごく普通の主婦をしている友人からヒーラーやレイキ、前世などの言葉がポンポンと出てくると実は私が面食らってしまうこともしばしばなのです。

スピリチュアルに関しては素晴らしい世界だと思いますが、のめりこみすぎると現実世界からの逃避にもなってしまいます。何事もバランスでしょうね。
スピリチュアルを自分探しに変えてみると実は80年代にそんなブームがありました。
自分を探すためにある人は海外留学、世界を旅する、ある人は自己啓発セミナーに入り、ある人は宗教に・・・などなど魂と向き合うために自分の存在とはなにかを捜し求めていたのです。あの頃の時代も世の中はバブルに浮かれて毎日がお祭り騒ぎだったはずですが、やはりどこかに孤独というものがあったのでしょう。経済の過渡期低迷期に同現象が出るのもまた興味深いことです。人はいつでも中庸を望むのかもしれません。現在と違うのはネットがなかったので外に出て自分探しをしていました。2007年の自分探しはネットという魔法のツールを使うことにより自宅からの受信、発信が出来て手早く共感できるものを探せるのことなのでしょうが、のめりこみやすさ、現実感のなさなどを上手く自分でコントロールしていかないと自分探しは非常に危険なものにもなりえるのだと思います。
スピリチュアルということを通して自分のこと、家族のこと、隣人・・・とどんどん輪を広げて世界平和や環境や自然に向けて考えていくということは非常に素晴らしい気づきであると思います。先行きの見えない現在であるからこそ、生きるとは?という原点に立ち返るという意味でこのブームもでるべくしてでたものなのだろうと思います。

ちなみに私は「癒し」という言葉が苦手です。癒しというのは神々しい神聖なものというイメージがあって、やたらめったら癒し癒しというのがどうも違和感を感じるのです。
実はスピリチュアルもそろそろ癒しと同じくらい違和感を感じてきているのが本音なのですがみなさんはいかがでしょうか。