自治会役員の任期がやっと終了しました。

今週の日曜日、4月24日の自治会総会、役員懇親会を持ってやっと任期終了となり、自治会役員のお勤めが終わりました。

はじまりは今から2年半前の11月。
私が会社に出勤しようと玄関ドアを開けて、外に出たときに支部長さんが来て唐突に「来年の役員か班長どちらかをお願いします」と言われました。まさに寝耳に水の御神託により、訳も分からないままに役員を選んでしまい、翌年2014年の1月に所属部署を決める面接を受けて、4月から自治会役員となりました。

配属されたのは自治会のとりまとめ雑務一般を担当する総務部、私は全会員に配布するで毎月発行の広報誌を編集する役目を仰せ使いました。
これがなかなか大変でワード文書の過去の広報誌の雛形があるのですが、決められた枚数の紙面にぴったりに原稿を治める調整作業など、先輩にあたる役員さんから指導をうけて毎回赤文字の訂正を頂き、出来ない自分に落ち込み半べそ書きながら必死に毎号作成していました。翌年は1年後に入った人に編集を引継ぎ、今度は校正の仕事になったのですが、毎号掲載の原稿を選んだり、編集担当の作った原稿の校正、修正加筆作業が待ち構えておりました。次の方があまり編集作業をしてくれなかったので、実質はほとんど2年間編集をしていたような感じでしたねぇ。おかげで休む暇がなかったような2年でした。

その他、総務部では広報誌の印刷や仕分けやら行事のお手伝いなんかもあって仕事は多岐に渡り月に1度ずつ、幹事会と役員会に参加していると休みはほとんど自治会活動に消えてゆきました。
特に大変だったのは夏祭り、体育祭では放送担当をすることになり、夏祭りはノリで何とか乗り切りましたが、体育祭では分厚い台本を渡され必死に読みながら放送をするという苦行。しかも競技中はその場で考えて実況をしろという素人に無理難題をいう内容でホントにこれを今までの人やってたの?と思っていたら、今までの放送担当もグダグダだったそうで・・・だったらもっと簡単にすればいいのにと思いましたねぇ。

その他にも100人規模の敬老会の喫茶担当など、いろいろ思い出はありますが、私の住むところでも高齢者は多く、また中年世代では仕事をしている人も男女問わず多いので、役員の活動に欠席をする人が割と多く、平日動ける人に頼ってしまいがちというのも今の時代を反映しているのだなぁと感じました。

任期中の役員同士の人間関係では良い人も悪い人もいるし、仕事をやる人、やらない人がいることもどこでも当たり前なんですが、私は同じ部の責任者である高齢者の男性に見た目で言いやすいのかいろいろと仕事を押し付けられたり、からかわれたりしていました。この方、男性の中年の有職者に彼は忙しいからと言わないんですよねぇ。私も仕事しているのにねぇ・・・変なの。なぜか私ともう一人の女性にばかり自分がやるべき仕事を押し付けてました。
更にうちは主人と二人暮らしで子供がいないのですが、それについて「こういう奴(私の事)が非国民だから(笑)」と役員の前で言われたりもしましたねぇ。役員の時期に同じメンバーでこういう人に当たってしまうのももう運みたいなもので、今回は当たり屋にあたられたと思うしかないのかなぁと思います。
そんな嫌なこともありましたが、その他の役員の方達は良い人ばかりで普段仕事をしていてなかなか地域の方と交流をもつことがなかった私にとってはたくさんのお知り合いが出来たことは大きな財産です。

自治会なくなればいいのに・・・・
という風潮があると思うのですが、大変な役員をやってみて、自治会活動を詳しく知ると改めてやっぱりなくてはならない組織なんだという気持ちになりました。
行政が自治会に委託してくる業務が以前にも増してあるということと、高齢者が増える中やはり地域の人とのつながりの窓口になっているのだということをしみじみと感じたからです。ただ、高齢者でもできるように業務内容の改善や外注制度などは少しずつ時代に合わせて変革させていかざる得ないのだろうなぁとは思います。